飼い犬が死にました。生まれてすぐにもらってきて15年と10カ月。
悲しい日になりました。
次男が犬を飼いたいとなって、女房もそれがイイと。近所に犬の世話をするところがあって、次男によれば何匹かいる中で、そいつがこっちを見つめていたので決めたそう。
小学校に入る前の次男は犬に引っ張られながら散歩をしていました。近所のお母さん方からは大丈夫なの?と言われながら。それから11年後に次男が家を出た後は、女房と私が散歩係となりました。
最初の犬小屋は私が作りました。工務店から材料をわけてもらって、女房と息子たちはペンキ塗りと犬小屋の表札書き。10年以上たってその犬小屋も老朽化したので、三男が新しい犬小屋をつくってくれました。また工務店から材料をわけてもらって、夏休みに長いことかかって完成。最初の犬小屋の2倍の大きさで天井裏に物置まである檜造りの本格建築、表札は今度は娘が書きました。
ずっと元気だった犬が昨年あたりから調子が悪くなって、年末にとうとう起き上がれなくなり、それからは家の中で寝たきり介護状態へ。娘がずっと世話をしていました。娘が生まれた時にはもう犬はいました、ギャーギャー泣く赤ん坊だった娘を不思議そうに見ていたものです。
その娘が学校から帰ったら、犬は冷たくなっていたそうです。女房によると家の外にも聞こえる大声で泣いていたそう。
息子達にも知らせました、彼らは娘の気持ちをおもんばかって、妹は大丈夫かと女房に電話をかけてきていました。
20年ほど前に、テレビにムツゴロウ先生・畑正憲さんがでていらして、何か動物の番組だったと思うのですが、ゲストの方が「死んだりすると悲しくてダメだから生き物は飼いたくない」と発言されたことにムツゴロウ先生は「今は生活の中に死というものがないんです。人はほとんど病院のベッドで亡くなります。昔は家で死んで家で葬式することが多かったので、生活の中に死が身近にあったんです。死ぬと悲しいとか、ツライとか、感じることが少なくなってきているように思うんです。飼っている動物が死んだら、それはやっぱり悲しくて、ツラクて、そういう風に生き物は死んでいくとか、生きてることを考えるとか、動物を飼うということはそういうことだと思うんです」というようなことをおっしゃっていました。
すごいなぁムツゴロウ先生は、とその時思ったんです。それが20年経ってやってきました。
犬は市の施設で火葬してもらうことに。娘は犬が死んだ晩、犬の隣で布団を敷いて寝ました。段ボール箱に犬を入れて、最後の数日は食べることができなくなっていたので、むこうでお腹がすくだろうとエサと好物だったクッキーを入れて、それから娘が犬に宛てて書いた手紙も入れました。
月曜日に燃やされるそうです。娘は施設のある東の空を見上げることでしょう。
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