国際大会はいろんなことがあって楽しく、新しい発見がいくつもあります。
”国際”はなかなかたいへんです。各国地域の文化、宗教、常識が違いますので、対応には一苦労します。食事は普通、ベジタリアン、モスリムの3種類が必須とされており、さらに食物アレルギー等がある場合は申告必要です。
かつて2006年の中国での国際大会の時に、日本チームの小学生の一人が食物アレルギーでした。中国のWRO委員会は、その小学生一人のために全食事を別メニューで用意してくれ、ホテル内はもちろん、競技会場での昼食時にはコックさんが(コックさんのかっこうのまま)熱い鍋料理をそのまま持ってきてくれました。スゴイ、エライ。とてもありがたかった。
この件を見習って、2008年の日本開催時にもアレルギー申告の参加者には個別対応を徹底しました。
また、イスラム教では1日にお祈りの時間があり、日本開催時には会場横にお祈りする部屋をつくりました。目立たないようなところだったのでお気づきない方も多かったことでしょう。2008年日本開催場所の横浜みなとみらい地区は当時路上禁煙指定地区であったので、事前に参加国にアナウンスしたりもありまました、ゴミ分別指定のアナウンスもやりましたね。
今回のフィリピン渡航では、15才以下の子供がフィリピンに入国する際には保護者同伴でないといけないとありました。同伴できない場合は日本にてフィリピン大使館で許可証を発行してもらう必要あり。
WRO最終日の閉会式の最初にフィリピン国歌斉唱がありました。その際、スクリーンではフィリピンの独立にいたる映像が流されました。映されたのはスペイン、アメリカ、日本の兵隊です。それぞれ、期間の長短はあれフィリピンを植民地化した国々で、そこから独立して今のフィリピンがあります。
マニラホテル近くのフィリピンの英雄たちの広場の像
閉会式の後に日本の高校生選手に、あの映像についてちょっと聞きました。「僕のじいさん、君たちのひいじいさんの時代の話だ」と言うと彼らは「そんな昔のことは知らない」と。きっとテレ隠しがあってそう言ったと思います。私や君たちの親御さんの生まれる20年くらい前の話で、君たちが生まれる50年くらい前の話です。龍馬伝ほど昔じゃないさ。歴史があって今があり、今があって未来があります。コーチ、応援団の方は流れた映像について選手らと少しお話をしてみてはいかがでしょう。
WRO国際大会の公用語は英語です。各国選手らはみなそんなに英語が話せるわけではありません。しかし、最終日の閉会式前後ではあちらこちらで交流があります。ユニフォームに寄せ書きしたり、写真撮ったり、バッチ交換したり、メアド交換したり。中でも日本の選手は人気者ですよ。いろんな国の人たちが写真やビデオを撮っていましたが、手にしているデジカメ、ビデオカメラのほとんどは日本のメーカ製品です。でもホテルや会場のテレビは韓国メーカ製品が多かったかな。選手たちは見つけられたでしょうか。世界の中で日本がどう見られているかもちょっと感じられるのが国際大会です。
英雄公園内のJAPANESE GARDEN
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